どの世界にも改革者は現れる。遅くも早くもね。ダンス・ミュージックの世界にもかつて変革を齎した男がいました。心は女ですが….それが当ブログで度々登場する Larry Levan [1954/07/20~1992/11/08]
Levanは後にシカゴで「House Music」の生みの親となる「Frankie Knuckles」と共にN.Y.のバスハウス「Continental Baths」でDJとしてのキャリアをスタートします。
※バスハウス
ゲイ男性のための発展場・バー・サウナ・ディスコを兼ねた複合施設。現在はすべて閉鎖。
その後LevanはN.Y.の様々なディスコで経験を積み、伝説のディスコ「Paradise Garage」で、DJとしての新たな可能性を示しました。
「LarryのDJはまるでドラマの様だ」「Paradise Garage(以下、ガラージ)」を経験したクラウドは皆その様に答えます。このドラマはLevanの気分によって上がり下がりはあるけれど、必ず皆を最高の気分にさせてくれる…何だかんだとそれは間違いない…と。
Levanはどうすればナイト・クラブでクラウドが楽しんでくれるのか常に模索していました。その基本となるのがエンジニアの「Richard Long」と共に構築したサウンド・システム。
Levanは優れたDJであると同時に、サウンド・マンでした。Longが造ったシステムをLevanが磨き上げて唯一無二の音に昇華させたのです。
因みにガラージは、1979年、1980年に米ビルボード誌のディスコ・コンベンションで、「ベスト・クラブ」と「ベスト・サウンド・システム」に選ばれています。
このサウンドとLevanのDJとしての才能によって正しくガラージは聖地となり、LevanはクラブDJとしてのNext Stepへの道を開きました。つまりは、Remixer、Producer、として音楽を造る側にDJのステータスを移行し高めるという事。Levan自身も「Peech Boys」名義等様々な楽曲を世に送り出しました。
まあ良いことばかり書いてますが、祭りはいつか終焉を迎えます。ガラージは契約の問題で1987年にクローズします。ガラージ最後の2日間はなんと14000人ものクラウドが別れを惜しみにガラージへ訪れたと言われています。
ただ、これに合わせるかの様にこの頃のLevanは薬物の量が増えて、DJは完全にドラッグの二の次の状態になってました。元々薬物にハマっていましたが、かなりひどい状況だったと言われています。
それでもLevanはガラージの最後を最高のパフォーマンスでクラウドを操りました。これこそマエストロ!あれ程中毒のど真ん中でもLevanはやっぱり最高だったのです。
今回聴いてもらうのは、ガラージで最後にプレイされた曲だと言われています。
ホントかどうかそこはちょっと怪しいですが、Levanがこの上なく愛した曲の一つであることは間違いありません。
極上のミディアム・ディスコ・チューンです。まるで自分に向けてプレイした様にも思えます。ちょっと寂しくなる曲ですけど…
毎年この頃は世界中でLevanを惜しむパーティーがあちこちで開かれています。今年もまたしかり…ありがとうございます。いつまでもあなたは最高です。
R.I.P. Larrry Levan
※余談ですが、
現在、Paradise Garageをテーマにした映画が制作中。Levan役は英俳優の「Kobna Holdbrook-Smith」氏だそうです。これは必ず観に行きたいけど日本でちゃんと上映してくれるのかな?詳しくはこちらで….↓
Sharon Ridley – Changin’ [Tabu Records:1978]