1980年代後半、東京都港区芝浦は「ウォーターフロント地区」と言われ様々な商業施設が造られました。
その先駆けで、且つ、東京における「クラブシーンの幕開け」とも称されたのが伝説のクラブ「GOLD(1989~1995)」でした。
当時日本はバブル後半、まだまだディスコは健在・絶賛盛り上がり中。
そんな中、「ディスコなんてダサい」って思う人々もいた訳で、彼らの意向を一身に背負ったのが「GOLD」でした。
そしてバブル崩壊後の1991年5月15日、「GOLD」前を流れる芝浦運河を挟んだ芝浦1丁目に「ジュリアナ東京」がオープンします。
一見客には極めて入りづらかった「GOLD」へのアンチテーゼとして造られたと言われています。
正式名称は、「JULIANA’S TOKYO British discotheque in 芝浦」。
日本の総合商社と英国のレジャー企業が共同出資して造られた「ジュリアナ東京」と言えば、バブル期のイケイケ・ギャル達から踏襲した
ワンレン♡
ボディコン♡
ハイヒール♡
ディスコの中ではお立ち台♪
そして扇子!
実はディスコでの扇子は「ジュリアナ東京」が発祥ではなく、「マハラジャ祇園(京都)」でVIPルームのお客さんに扇子を配り、それを持って踊り出したのがルーツと言われています。
「ジュリ扇」もバブル文化を踏襲したアイテムだった訳です。
「ジュリアナ東京」オープン時のコンセプトは、「普通のOLが上品な夜を過ごせる英国資本のコンサバティブディスコ」…ちょっと意味が分かりませんが…
プレイされる曲は、「GOLD」が「House Music」ならば、「ジュリアナ東京」は「Euro Beat」をメインとしたオールジャンル・スタイル。
その後徐々に看板DJ「John Robinson」が「Hardcore Techno」をミックスし「ジュリアナ・スタイル」となりました。
これにRobinsonのMCによるあまりにも有名な掛け声「ジュリアナ~トキオ~ !!!」で、「ジュリアナ東京」は90年代初期のディスコ・ムーブメントの発信地として社会現象になる程全国から注目されました。
本日の曲「Anasthasia」は「ジュリアナ東京」絶頂期に鉄板・チューンとしてプレイされ、全国のディスコで大ヒットした「Hardcore Techno」トラック♪
この曲は繋がない…
ここからプレイする….
最初はビートが入らない…
ミャ・ミャ・ミャ・ミャ・ミャ・ミャ
※こう聴こえる(笑)。8回リピート。
皆騒ぎ始める
1秒ほどサイレンス
ミャミャミャミャミャミャミャミャ
ミャミャミャミャミャミャミャミャ
※テンポが速くなる。
ここでビートがブーン!
で、こうなる(笑)。
当時自分は小箱のクラブでDJをしていましたが、お立ち台姉さん達のパンツを拝見しにしばしば「金沢King & Queen」にはお邪魔させていただきました。その節はお世話になりました。
まあ、見せパンは当たり前、他に何かはみ出してないかなとお立ち台の下から目を凝らしていたもんです。
踊る阿呆に見る阿呆
役割分担って大事ですね(笑)。
さて近頃は「高級ディスコ復活」の兆しが見えてる様で、「MAHARAJA」「King & Queen」等が全国あちこちにオープンしてます。「ジュリアナ東京」も復活するそうです。今度は大阪で♪
って事は「ジュリアナ大阪」になるんじゃ? オープンは今月26日を予定だとか….
ちょっくらパンツ見に行ってくるか(笑)♪
T99 – Anasthasia [Who’s That Beat?:1991]