幼少の頃から子役として母国オーストラリアで活躍していた「Kylie Minogue」は、1987年に「Locomotion」で歌手デビュー。
これが成功しイギリスの音楽プロデューサーチーム「Stock Aitken Waterman(PWL)」と契約。「I Should Be So Lucky」「Turn It into Love」等多くのヒットを飛ばします。
しかし1990年代以降、アイドル路線から歌唱力に比重を置いたプロモーションに変更した事が裏目に出ます。「PWL」を離れたことも原因の一つだったと私は思います。
確かにこの時代「PWL」は全盛期の勢いを失っていました。後のことを考えるならばこの選択は確かに間違っていませんでしたが、「PWL」から離脱して再び世の脚光を浴びたアーティストは残念ながらいないと私は思っていました。
「Dead Or Alive」「Bananarama」「Rick Astley」…..どれもが「PWL」以降ヒットらしいヒットを出していない状況だったからです。
「Kylie Minogue」は勝負にでます。新天地「Deconstruction」からリリースするアルバム「Kylie Minogue」に「Dave Seaman」「M People」「Pete Haller」といったクラブ・シーンで名高いDJ、プロデューサーを起用。
続く次作「Impossible Princess」においては「Manic Street Preachers」「Brothers in Rhythm」といったアーティストを起用し、ロックからテクノと幅広い音楽性をアピールします。
これらは全英チャートトップ10内を記録しました。しかしまだ売り上げは決して大きいとは言えず、悩んだ末に「Kylie Minogue」は再び移籍をすることとなります。
EMI傘下(当時)のレーベル「Parlophone」に移籍後、「Pet Shop Boys」とのコラボや「Robbie Williams」が参加した移籍後初のアルバム「Light Years」によって「Kylie Minogue」はついに復活します。
そして次作アルバム「Fever」を前作からわずか1年というインターバルでリリース。これが彼女のキャリアで最も成功したアルバムとなりました♪。
この8作目のアルバムに収録されているのが「Can’t Get You Out Of My Head」です。この曲は「Kylie Minogue」にとって最も重要な曲の一つで、イギリスをはじめとするヨーロッパ各国の週間シングルチャートを制覇し「2001年において世界一の売り上げを記録したシングル」となったのです。
そして翌年全米チャート7位、全米クラブチャートでは自身初の1位を記録し、アメリカでも大成功を収めました。
「Can’t Get You Out Of My Head」はPVにも注目が集まりました。スリット入りの白いコスチュームを着た「Kylie Minogue」…..これだけでもいいのですが、近未来な街並みの中で、円柱型の帽子を身に着けたダンサーとのダンスがとても印象的です。
このPVが「Can’t Get You Out Of My Head」の大ヒットの要因の一つになったのは疑いの余地がありませんね。
こうして「Kylie Minogue」は「PWL」の呪縛から脱却し、見事に復活を遂げました。私の知る限りでは彼女だけですね、「PWL」離脱後にここまで成功したアーティストは…..素晴らしい!
この成功後の2005年、「Kylie Minogue」はツアーの最中に乳癌が発覚しますが、早期発見が幸いし半月ほどで治療に成功しました。ホント良かったです。
こんな色々なことがあってか私は復活後、彼女に対しての「尊敬」の稔が大きくなりました。これからも是非頑張って欲しいと思います。
Kylie Minogue – Can’t Get You Out Of My Head [Parlophone:2001]