Reparer Les Vivants(あさがくるまえに)[仏/ベルギー:2016]

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2003年にフランスで出版された「メイリス・ド・ケランガル」の小説を映画化された作品を遅ればせながら観てきました。既にDVDは出てますが、映画館で観ました。

監督は高校で映画研究、大学では哲学と映画DEAを学び、2005年に映画監督としてデビューした「カテル・キレヴェレ」。

…などと偉そうに書きましたが、小説も読んでないし、監督の映画を観るのも初めてです。すみません。
 
 
ストーリーは大雑把に言うと、息子が突然の事故で脳死状態になって、悲しみに暮れる両親が、心臓移植を提案され苦悩する様と、移植提供を待つ女性の葛藤を描いた所謂ヒューマン・ドラマです。

親として自身の子供が脳死判定され、同時に臓器移植を提案されたらどんな思いになるんだろう。

医者として脳死を告げる人…

臓器移植コーディネーターとして臓器移植を提案する人…
 
 
「臓器移植の目的は、提供を待つ患者を助ける事」
 
 
24時間の短い時間の中で、臓器提供者、被提供者に関わる人々の様子を画いた1本です。

上記(↑)の画像は心臓を取り出す直前、急いで取り出そうとする医者を臓器移植コーディネーターが制止して、提供者(脳死状態)を愛する人達からの思いをイヤホンを通して伝えるシーン。

この映画って主役が定まりにくい作品なので、誰に感情移入するか迷います。そこを無視して全体を客観的に観るってのも有りかな。敢えて主人公を設定するなら事故に遭い脳死になった青年「シモン」なのかもしれません(異論は認めます)。

◆シモンとガールフレンド

◆あさがくるまえに(予告)

 
 
「いかにバランスよく物語を組み立てていくか」

監督のキレヴェレが一番悩んだのがここだと言います。

続けて監督のコメントから

「臓器移植という重いテーマを扱ってはいますが、そこには軽さも必要です」
 
「重い部分と軽い部分とのバランスをいかにとっていくかに苦労しました。テーマが深刻で重いからこそ、人物間の関係性を純粋に保つことが必要ですし、重いテーマを重いままで見せても、それでは観客に無理を強いることになってしまいます。」
 
 
フランス(ベルギー)映画って難解…とか、ストーリーに波が無い…って言う人は少なくありません。自分もそう思ってるかもしれませんが、自分はこんな映画観るのは好きです。波なんて無くってもいいんです。たまに睡魔と戦うこともありますが(笑)。

終わった後、これって何を伝えたかったんだろう? ここが一番重要で難解なのかもしれませんが、それこそ映画を観た人が考えるべき事で、制作に携わった人達へのリスペクトだと思います。
 
 
と言いつつ、この映画に関してもツッコミどころは色々とあります。それは観た人がそれぞれの思いで感じれば良い事。気になった方は是非観て頂きたいですね。
 
 
最後にエンドロールで聴いた曲についての監督のコメント

「私の映画にとって音楽はとても重要な部分です」

「エンディングに使う曲について様々な映画を観たり、いろんな曲を聴いたのですが、中々これというのが見つからず決まらないままでした。ある日、カフェにいたときにこの曲が流れてきて、この曲の歌詞が持っている苦さがまさにピッタリだと思い、この曲に決めました」

 
ナイス・チョイスですね。エンドロール観ながらジワジワ来ました♪
 
David Bowie – Five Years [RCA:1972]