USA For Africa – We Are The World [Columbia:1985]

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発端は1984年にエチオピアで起こった飢餓による約100万人以上の餓死問題。最初に動いたのは、イギリス(英国)とアイルランド(愛国)のアーティスト達でした。

アフリカで飢餓に苦しむ人々の救済を目的に、「Bob Geldof(愛国)」の呼びかけによって、英愛のロック・ポップス界のスーパースター達が集まって結成されたチャリティー・プロジェクト「Band Aid – Do They Know It’s Christmas?(1984/12/03リリース)」の成功です。

◆Bob Geldof

◆Band Aid
参加メンバーは「Phil Collins」「Bob Geldof」「Midge Ure(Ultravox)」「Paul Young」「Bono(U2)」「Paul Weller(The Style Council)」「George Michael(Wham!)」「Boy George(Culture Club)」「Sting(Police)」「David Bowie」「Paul McCartney」「Trevor Horn」他40人以上…凄すぎます♪

Band Aid – Do They Know Its Christmas? [Phonogram:1984]

「Do They Know It’s Christmas?」は英国だけで300万枚以上を記録し、7万$(1$=251円)の収益金は食料・医療品となってエチオピアへ運ばれました。

こうなると次はアメリカ(米国)です。先ずは、アーティスト・社会活動家の「Harry Belafonte」が米国とカナダで同様のプロジェクトを立ち上げました。Belafonteはこう語っています。

「アーティストの力は限りない。芸術は最も偉大な語り手です。そして芸術に限界は無いのです」

◆Harry Belafonte

Belafonteは実行するために、すぐさま米国の音楽業界で大きな影響力を持つ「Ken Kragen」に連絡しました。因みにKragenは「Lionel Richie」や「Kenny Rogers」のマネージャーを務めていました(現在はわかりませんが…)。

◆Ken Kragen

KragenからRichieへ、そしてRichieの妻Brenda(当時)から「Stevie Wonder」へ…..もう一方、Kragenは「Quincy Jones」に連絡し、Jonesは「Michael Jackson」へ…..こうして奇跡とも言える歴史的なセッションが具体化されていきます。

◆Lionel Richie & Brenda Harvey

◆Stevie Wonder

◆Michael Jackson & Quincy Jones

「We Are The World」を書いたのは、「Lionel Richie」と「Michael Jackson」。互いにリスペクトし合い、公私共非常に仲の良いスーパースター同士ですが、流石にこの2人でも随分と悩んだ様です。

「Lionel Richie」曰く

「Michaelがアイデアを持ち込んで、次に僕がアイデアを出す。僕がさりげなく1フレーズを口ずさむと、Michaelが更に良いフレーズにして返す…そうして遂に僕らは素晴らしい曲を得たんだ」

3日間悩んだそうですが、実際曲作りにかかった時間は2時間半位だったとも語っています。

曲完成後、「Lionel Richie」と「Michael Jackson」によるデモ・テープが作られ、「Quincy Jones」は100組のアーティスト達にそれを送りました……ある一文を添えて。

Please check your egos at the door
エゴはスタジオの入口に預けて下さい

数日後…各アーティストから返事が届き、米国、否、世界屈指のアーティスト45人が集結することになりました。一方、自身のスケジュールの都合等で約半分のアーティストがこのオファーを断りました。この頃飛ぶ鳥を落とす勢いで、世界的ブームを巻き起こしていた「Madonna」も不参加を選択。理由は分かりませんが…

◆Madonna

そしてこのプロジェクトは「United Support of Artists」のイニシャルと「United States of America」の略称の2つの意味を込めて「USA For Africa」と名付けられました。

しかしながら、集結したアーティストはそれぞれの声質・音楽スタイルを確立しています。「いくらスーパースター達でも彼等全員が一緒に歌える曲なんて難しい…」そんな意見がありました。

これを解決するため、「Quincy Jones」は声質がマッチするアーティストをピック・アップし、声の掛け合いのペアを組み合わせました。

この見事なペアリングにより、参加アーティスト達がそれぞれのスタイルで1フレーズづつ歌い、リレーし、「We Are The World」は音楽史上稀に見るタレントの一致団結を実現したのです。Jones師匠、アッパレです♪

唯一つ残念なのは「Michael Jackson」と「Prince」のコンビが現実化しなかった事。当初「Quincy Jones」は「Michael Jackson」と「Prince」をペアにしようと決めていました。互いに強いライバル意識を持っていた2人の競争心を和らげる事が出来ると思ったからです(親心かな)。

◆Prince

「Prince」は「We Are The World」のレコーディングに参加予定でしたが、姿を現しませんでした。

・ボディーガードが起こしたトラブル
・本当は参加したくなかった
・自分の背が低いのが目立つから
・夜の酒場で大宴会をしていた
・Madonnaとつきあってたから…

….等々色々と言われていますが、「Prince」の広報担当(当時)はこれらを全否定。「Prince」自身が何もメディアに語らないので書き放題なのだと説明しています。でも当日ボディーガードがトラブルを起こしたのは事実のようです…….これも「Prince」の指示によって…と言う人もいますが、真相は分かりません。

こんな事書くと「Prince」を誤解する人がいるかもしれませんが、彼はアルバム「We Are The World」に「4 The Tears In Your Eyes」を提供し、自身のアルバムと競合を避けるため発売を延期してます。また、死後様々な慈善事業を行っていた事が分かりました。

ちょっと変わってるかもしれませんが、かなりの人格者なのです。要は恥ずかしがり屋なんです。「Michael Jackson」が陽だとすると「Prince」は陰。「長嶋監督」と「野村監督」の関係を連想しました。

月見草と向日葵

こうして1985年1月28日の夜、とてつもない有名人達がレコーディングのため、ハリウッドのA&Mスタジオに集結する訳ですが、実はこの日「第12回アメリカン・ミュージック・アワード(AMA)」の開催日と重なっていました。

参加メンバーの多くがAMAに出演しましたが、「Michael Jackson」はコーラスの目安に使うガイド・ボーカルの先行録音のためAMAを欠席。後に「Bob Geldof」をして「真剣さに圧倒された」と言わしめた「Bruce Springsteen」は、多くのアーティストがリムジンで到着する中、自身のピック・アップ・トラックで乗り付けました。

◆Bruce Springsteen

このレコーディングの数時間前に「Lionel Richie」はAMAのホストを務め、「Cyndi Lauper」、「Tina Turner」は華やかなステージで歌った後でした。その影響からか、アーティスト達の間には緊張感が少なく、「Bob Geldof」はこのレコーディングの重要性が忘れ始めたと感じ、アフリカで起こっている現状を語りました。

話が終わる頃、本来の目的を再認識したアーティスト達の眼の色は変わり、奇跡のレコーディングが行われたのです♪

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◆Conductor:指揮
・Quincy Jones

◆Instruments:楽器
・David Paich
・Michael Boddicker
・Paulinho da Costa
・Louis Johnson
・Michael Omartian
・John Robinson

◆Chorus:コーラス
・Dan Aykroyd
・Lindsey Buckingham
・Mario Cipollina
・Johnny Colla
・Sheila E.
・Bob Geldof
・Bill Gibson
・Chris Hayes
・Sean Hopper
・Jackie Jackson
・La Toya Jackson
・Marlon Jackson
・Randy Jackson
・Tito Jackson
・Waylon Jennings
・Bette Midler
・John Oates
・Jeffrey Osborne
・The Pointer Sisters
・Smokey Robinson

◆Soloists:独唱
・Lionel Richie
・Stevie Wonder
・Paul Simon
・Kenny Rogers
・James Ingram
・Tina Turner
・Billy Joel
・Michael Jackson
・Diana Ross
・Dionne Warwick
・Willie Nelson
・Al Jarreau
・Bruce Springsteen
・Kenny Loggins
・Steve Perry
・Daryl Hall
・Huey Lewis
・Cyndi Lauper
・Kim Carnes
・Bob Dylan
・Ray Charles

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「We Are The World」が店頭に並んだのは1985年3月5日(火)。某レコード販売大手@ウェスト・ハリウッド店のスタッフは熱く語りました。

「異常だったね。信じられない売れ方だったよ。こんな事今まで経験した事なかった。2,3枚はプレゼント、コレクションで1枚、25枚買ってた人もいたな」

この店だけで1000枚をこの週末で売り、翌週以降3000枚以上売れたそうです。初回80万枚以上プレスしたのに予想を遥かに上回る売り上げでした。

1985年4月5日(金)…グリニッジ標準時15:50…地球上の約5000のラジオ曲が「We Are The World」を同時にオン・エアー。飢餓に苦しむ人々を救済するため、その資金調達のために1つの音楽を通して世界が繋がったのです。

当時自分は高校生。毎月の小遣いもなく、日々ラジオやレンタル・レコード店を利用し、必死に追いつこうと日々頑張っていました…多分(笑)。でも「We Are The World」は色々と理由を付けて何とか購入資金を調達し、レコードを買った記憶があります。

自分が少しでも役に立てれば…..あの時の自分はそんな事二の次だったんだろうな~(笑)。

「We Are The World」は1985年3月23日に初登場21位で全米チャートにランクイン。その3週後、昨日のエントリで紹介した「Phil Collins – One More Night」に代わり、異例の速さで全米1位に到達しました。

売り上げは米国だけで750万枚のシングルが売れ、シングルとアルバム、ビデオの合計で6300万ドルの収入となり、すべての印税はチャリティとして寄付されました。

今年2月20日、ユニセフは世界各国の新生児死亡率を比較する報告書を発表しました。新生児の死亡率が最も低かったのは日本で、ユニセフは「赤ちゃんが最も安全に生まれる国」と表現しています。現在新生児の死亡する割合が最も低い国々は以下の通り。

1. 日本 : 1,111人に1人
2. アイスランド : 1,000人に1人
3. シンガポール : 909人に1人
4. フィンランド : 833人に1人
5. エストニア : 769人に1人
5. スロベニア : 769人に1人

エチオピアは1000人に対し27人。かなり死亡率は高いです。当時より飢餓の苦しみは緩和されたのかな?…「USA For Africa」は役に立ったのかな……..

勿論エチオピアに限った事ではない事です。分かってます。自分達が何か世の中の役に立てれば…自分にとってそれらを実現するためのきっかけになったのが、「USA For Africa」だったのです。

「USA For Africa」は現在も活動しています。今ではエチオピアだけでなく、地球規模でのサポートをしてくれています。我々日本人としては、東日本大震災においての支援($10,000)が非常にありがたい寄付だった事をここに記しておきます。

USA For Africa

因みに「We Are The World」の5週連続1位を阻んだのは「Madonna – Crazy For You」。前の1位と後の1位に何か不思議な関連を思うのは自分だけじゃないと思います。

「Crazy For You」が1位になる前の「ベストヒットUSA」のエンディングが今でも頭に残っています。

その時の「ベストヒットUSA」エンディング(42秒)

今日はいつになく長文でした。まだまだ書きたい事があったのですが、そのうち本になりそうなので(なりませんが)ここまでにします。読んでくれてありがとうございます♪ ではまた~♪♪♪

USA For Africa – We Are The World [Columbia:1985]